教会には様々な年齢、職業の人々が集っています。
聖書とどのように出会い、励まされ、平安を与えられて来たのか、
そのストーリーを紹介します。
「癌で亡くなった妻を通して知ったイエス・キリストの福音」 岩槻区在住 72歳男性
私は4年前の8月にクリスチャンだった妻を癌で亡くしました。死期が迫った6月になって妻は「私はクリスチャ ンです。死後はキリスト教形式の葬式で教会の墓地に葬ってほしい」と言って教会の牧師先生の連絡先メモを手渡 されました。その頃、神様に無関心だった私は初めて教会へ足を運び牧師先生にそのことを相談しました。そして 妻の信じているキリスト教とはどんな教えなのか? また、クリスチャンとはどんな人たちなのかを知りたくて教 会に通い始めました。
しばらくして牧師先生から、聖書の事、イエス・キリス トの事についてもう少し学びませんかと声をかけていただき 「聖書」は誰が何について書かれた書物であるかということ から学び始めました。
「聖書」は約1600年にわたり約40人の人々が、神から示され た御言葉を忠実に書き記した書であることを知りました。内 容は預言や歴史をはじめ、多岐に亘っていますが中心主題は 「イエス、キリストの福音」です。クリスチャンは、この神 の御言葉の教えに従って生きようとしている人々です。
私は68歳にして、聖書を知り、イエス・キリストを救い主として受け入れることができました。妻は失いまし たが、神様と多くのクリスチャン仲間に恵まれ有意義な人生を送っています。是非、皆様も一緒に「聖書」につい てまた「イエス・キリストの福音」とはどんなものなのかを学んでみませんか? 教会でお待ちしています。
「職場、家族の人間関係を変えた聖書の言葉」 40代男性会社員
私は、フードサービスのマネジャーとして、常に人手不足に頭を悩ませる毎日を送っていました。朝、6時前に出勤し、欠勤する従業員が多ければ、すぐに派遣会社から救援を依頼しなければならないという状況で、日々の激務の 中で従業員に対する不信感とストレスは高まり、常に心に平安はありませんでした。そんな状況の中、敬虔なクリスチャン夫婦と家族ぐるみで知り合う機会があり、教会に招かれました。
最初牧師先生のメッセージは、私には関係のないと思っていましたが、「人は皆、罪人であり、イエス様は私たちの罪のために 死んでくださった」というメッセージは私にとり、衝撃的でした。「罪人」と宣告されることは初めてで、厳しさを 感じる一方、「イエス様の十字架での死がその罪を洗い流してくれた」という愛の深さに感動しました。不信感をつ のらせていた従業員の一人一人が「赦され、愛されている人達」という考えは、不信感からの重荷から解放し、信頼 関係を築けるようになっていました。
でも神様の愛?、宗教?にはどうしても距離を置いていました。私の実家には、仏壇があり、毎日手を合わせるの が習慣でした。父は熱心に信仰していましたが、夫婦関係、 親子関係は決して良好ではなく、家庭に平安はありま せんでした。なぜ信仰を持っているのに、こんな問題が多いの?という疑問が私を神様から遠ざけていました。
そこで私を救ってくれた聖書の言葉が、第一コリント13章13節で した。「いつまでも残るものは、信仰と希望と愛です」そして大きな 一歩を踏み出させたのが、「その中で一番すぐれているのは愛です」 という部分でした。一番すぐれているのは「信仰」でなく、「愛」と 言えるふところの深さに驚き、聖書のことをもっと知りたいと思よう になりました。
今、日々のプレッシャー、ストレスの中で、職場、家庭、友達との人間関係についての問題に悩む方も多いと思い ます。聖書は神様からのラブレターです。そして、永遠に変わること、尽きることなく、私たちに力と知恵を与えて くれる、いのちの「泉」です。是非、私たちと共に聖書を学びませんか。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたし のところに来なさい。 わたしがあなたがたを休ませてあげます。 (マタイ11章28節)
「放蕩息子を愛し続けられた神様」 20代男性
私はクリスチャン家庭に生まれ、毎週日曜日には東京の教会に家族で通っていました。しかし、思春期に入ると親と行動するのが嫌になりました。自分でいろいろ選択するようになり、大人の罪深い世界にだんだん抵抗感がなくなり、教会に行かなくなりました。 高校では軽音楽部に入ってドラムを叩くようになり、親にも激しく抵抗して荒れ狂いました。 神様の気持ち、親の気持ちなど当時の自分はどうでもよかったのです。神様、愛、純粋から遠のいて行く自分に気づき、このままではいけないと頭のどこかでわかっていながらも、どんどん悪の道を進んでいました。音楽専門学校のドラム科に進み、卒業後、東京でバンドに加わったのですが、人間関係につまづき鬱状態になりました。
その時、母からメールが来ました。「第1コリント15:33、34 思い違いをしてはいけません。友だちが悪ければ、良い習慣が損われます。目をさまして、正しい生活を送り、罪をやめなさい。」このメールと電話で父母から慰めを受け、実家に戻る決心をしました。まさに絵に描くような放蕩息子であります。
しばらくして、訪問介護の運転ドライバーという求人に目が留まり、好きな車の運転の仕事だと思ってはじめたところ、実は運転はわずかで、おじいちゃんおばあちゃん、身体の不自由な方のお風呂の世話をする仕事でした。くさくて、汚くて、 人と話さなくてはいけない。自分が一番やりたくないと思っていた仕事でした。最初はだまされたと思いました。しかし、お年寄り、 障害を持つ人々のお世話をするうちに、偏見はなくなり、やりがいを感じるようになりました。
その後、岩槻の会社に移り、教会にも行こうと思い、ベテル・バプテスト教会に通い始めました。
先生のメッセージは私の心にすっと入ってきました。基礎の聖書の学びを通して、福音を理解し、救いを確信しました。昨年、教会で出会った妻と結婚し、まもなく第一子が与えられます。
私のような放蕩息子を愛し続け、受け入れてくださった神様に心より感謝します。(ルカ15:11—24)
「美しい自然の創造主を求めて」 4人の子育て中の母
子どもの頃、近くの教会学校で見た絵本に、暗い空の果ての向こうに光がまばゆく輝いている絵があり、子供ながらにそれが深く印象に残りました。それが私の中で漠然とした神様のイメージとなって、私はそれ以来、見えないけれど大きな存在があることを信じるようになりました。
イエス様を信じる前の私にとって一番大事だったのは、自分の夢を叶えることでした。一つの夢が叶ったら次の夢、そしてまた次の夢。自分がその時何をしたいかが原動力で、自分のことしか考えていませんでした。夢を叶えるために、神社に行っては祈り、叶ったら必ず感謝の祈りをしに行きました。アメリカに単身で留学した後も、その信仰心は益々強くなり、神社はありませんでしたが、毎日のようにお祈りをしていました。当時住んでいた家の近くに、海のように大きな湖がありました。ある日、美しい七色の夕焼けの空が湖に映って、空と同じように七色の波が静かに私の方に押し寄せて来るその美しさに圧倒され、このような美しい自然を造られた神様は一体どのようなお方なのだろうと思ったのを覚えています。
その時からまことの神様に出会うまで、良いことも辛いこともありましたが、神様は特に私が辛い中にいる時、そっと愛の手を差し伸べて、希望の光を置いていてくださっていたことが、振り返る時に分かります。自分の夢を追い続けてきたものの、自分の力のなさと将来への漠然とした不安、孤独、そして虚しさが徐々に心を蝕み、行き場を失った私は、希望が見えず、何かに救いを求めていました。憐れみ深い神様は、私にクリスチャンの友人を与えてくださいました。彼女達のうちには、私が持っていない喜びがありました。いつしか私は、その喜びは一体どこから来るのだろうと不思議に思うようになりました。友人の誘いで教会に通い始め、聖書の学びを通して本当の神様に出会うことができた喜びは今も忘れません。イエス様の流された血潮により私の罪は赦され、私は救われました。それまでの自己中心的な生活のもたらす虚しさから解放され、私は初めて自由になりました。
神様はその後結婚に導いてくださり、4人の子供達を託してくださいました。子育てには、たくさんの喜びもチャレンジもありますが、子供達と共に神様を礼拝し、御言葉を学び、神様の造られた素晴らしい自然に感動し、神様が与えてくださった恵みを数える時、感謝の気持ちが溢れます。イエス様に出会って救われる前には、想像もできなかったことです。(第1コリント8:6)